昭和55年04月10日 月次祭 (若先生)



 「這えば立て、立てば歩めの親心」と。親の思いを、親の思いの深さを知った時に、本当に親孝行せずにおれんという気になるものなのですが、そこに一心が出てこんのは、結局まだ親の思いが分っていないということになるんじゃないでしょうか。今日親先生のお手代わりをさせて頂いて、祭主の御用をさせて頂いたんですが。今日のお供えの中に珍しいことですが、粉ミルクがお供えになっておりました。本当に親様のお手代わりをさせて頂きたいとこう思っておりますけれども。
 それこそ神様の目から見たらまだ赤ちゃんみたいな事だということでしょう。まぁがっかりしたやら情けないやらと言う様な思いでおりましたら、これはコマーシャルの宣伝にあるんですが「小さくても百獣の王」というのがありますね。小っちゃなあのうライオンの子供が池をこう覗く。そこに映る姿は百獣の王の姿をしておるという。そういうコマーシャルがございますがその言葉を頂くんですよ。小さくても百獣の王。今合楽に起こっております凄まじいまでの、神様の躍動というものを感じる訳です。
 私みたいにまぁこれはもうお世辞でも辞令の挨拶でもなく、辛抱力のない男はない。自分ほどだらしのない男はないと思うんです。その私がです有り難う辛抱させて頂いております。それこそ私ほど鈍感な男はないと思うんですが、その神様神様の凄まじい働きを肌で感じております。ですから今みなさんが本気でその気になっておられになるならば、間違いなく神様は交流しようという働きが、そこにここにある事を思うんです。今立ってほしいと思います。もう絶好のチャンスだと思うんです。
 先日から福岡の稲垣さんという方が、ある難儀な事を問題で、御祈念さして頂いておったら、金光教の金いわゆる金という字にこちらに立つという字ですを頂いた。もう一つは同じく金へんにこちらに定める。この金へんに立つという字は、あのう字引にないんですね。これは即ちさぁ立てということです。さぁ発心しなさいよ。発心させて頂きますと今発心させて頂きますと、この金へんに定まるというのは、これは錠というんだそうだそうですねいわゆる鍵。神様がカチッと心を開けて下さるんです。
 おかげの道をカチッと開けて下さるんです。もう最高のチャンスなんですよ。昨日研修させて頂いたんですが、今ご信者さんはいざ知らず、今少なくとも合楽で、道の教師としてお役に立ちたいとして、合楽におる人が今その音が聞こえ、なら聞こえないならば、今親の思いが分らんならば、もう速やかに合楽教会辞めたがいいよと申しました。それこそ「時節を待っておかげを受けるがよし。」というけれども。
 もう昨日の御理解がそうでしたね。もうどんなにそれこそ強い電流を流しても。その人が枯れておったら、もう神様との交流はできないんです。小っちゃくてもいい生き生きとしたものが今あるならば交流出来れるんです。それがそれこそもう何十年その人は信心、あのうみなさんじゃないですよ。修行生の方がそれこそ、あのう布教に出たらばおかげ頂くじゃろう。そんな事じゃないですよ。それこそひとりで物ができれるというためには、今心を肥やしておかなかねばならない。
 さぁ布教に出たからすぐ物が出来るか。絶対できはせんのです。まぁそれこそ行き過ぎたかなと思うて、夜親先生がご覧になる朝刊の西日本の、その日の運命っていうのがありますが、それを見させて頂いたら「とげのある言葉にも意を解する」とありました。だから、これは言ってよかったんだなと思って。そしたら今朝の御理解を頂いて、いよいよ今、今こそ皆さん発心すべき。今こそ立つ時期だというものを感じさして頂いたんです。そして先ほど、正教先生の前講を頂きながら、なるほどなあと思うんです。
 神様は間違いなくその人の修行を受け取って下さるなと思うんですが。今親先生のご病気のことを一生懸命お願いさせて頂きよったら、15という数字を頂いたと。正教先生はそれを15の守りと頂いた。確かにその通りなんです。私はその時直感したのは、昔は15歳で元服したんですね。ですからこれはもう合楽教会の元服式ですよ。いうならばさあ独り立ちになってくれという神様の願いだと思います。今朝ほどから親先生は大坪総一郎の告別式をすると。これはまぁ様々な信者さんが頂かれてるんですよ。
 親先生の告別式の事を。先日本部広前にやらせて頂いたら姉が訪ねてきました。その時にやっぱりあのう親先生が風邪をひかれる前後して、お知らせ頂いておるのが親先生の告別式があっておる。その中に母親が派手な着物を着てですね、その告別式に参列しておる。それでそれを見て色々役員の人達が、なんであんな派手な着物を着て告別式に参加しておるんじゃろうかと、まぁ噂をしておるわけです。ところが毅然としてその告別式を頂いておるというんです。
 私は例えばですよ万が一今親先生が亡くなられたとし、本当の告別式が行われたとしても、間違いなく赤飯が炊けてる炊けるんじゃないかと思うんです。もし今私の心と神様との心との間で交流し、生み出される信心を頂いておる人だったら、その事が合点いけるだろうと思うんです。まだ親先生がおってもらわなきゃ困る。まだ親先生に縋らなきゃという人は、やっぱりお困りになるだろうと思うんですが。こうやって今日みなさん縁あって今日の月次祭にお参りなっておられる方は。
 少なくともそこのところまでは頂いて頂かなければならないと思うんです。今日は1日先ほど信徒会長がお話申し上げておりましたように、間もなく迎えます落成奉告祭の準備、並びに竹中との打ち合わせなどで、それこそそれぞれの思いを込めて、みなさん終日御用を頂かれました。私もその事に参加さして頂いた訳ですが。午前中は良かったんですね。調子よく有り難い気持ちでおかげを頂いておったんですが、不思議に午後から不安不安というか、イライラモヤモヤして来て、ような気分になって来たんです。
 これは何でかなと思いながら、あのこちらを私呼びきましたから、こちらに来さして頂いたら、ある人が大変な問題を私に問いかけるんです。そしてその問いに私が答えておるのが、もう実に今考えてみると浅はかな答えをしておる訳です。いわゆるまぁ言うならば金銭的に大変困迫な状態にある訳です。ところがその方法いわゆる方法というか、それこそあの人に頼んだらよかろうもん。金利の面はどげんなっとるやろう。
 計算機まで持ってきて僕は計算してやりよるとです。いわゆる信心で物事を判断してないんです。頭で判断しよるんですよ。心でその人の問題を見てないんです。頭で見てるんです肉眼で見てるんですよ。だからそれは困ったぁ一生懸命二人で悩みよるんです。合楽の信心は、こりゃもう本当に親先生ちゃ不思議な方だなと思うんですが。例えば今度13日会がありますが、13日会は皆さんご存じのように大祭の前の13日会っていうのはもう、1日中でも御用しておきたいような、てんてこ舞いなんです。
 ですから今度は特に忙しいから、正教先生と二人で、今度は13日会なかろう。まぁ御用一日終日御用だろうと思うて、まぁ親先生にその事を今朝お届けしたんですよ。そしたら「平常通り13日会するばい」と仰るんです。けど合楽の信心の躍如たる所はここじゃないかと思うんです。結局信心が基礎にならなければ、いかに上に築いても何にもならないということなんです。信心で物事を見、信心で商売をさせて頂く、信心でお仕事をさせて頂くということにならなければ、それこそ10出来ても何にもならない。
 例えばそれがもし遅れても、な13日会したから10のものが3か1かで終わってもそれでいい。それでなきゃ本当なもんじゃないと仰るんですね。だから所が私の最近はそうしたいんです。皆んなが忙しかってもわざと研修するばい、わざと13日会をしたいなという気になるんですね。それこそ親の真似をする訳じゃないんですけども、親の思いに添いたいと思うと、やっぱり親の形に段々添うて来とるのに不思議に思うんですが。先日まぁ色んな話をして御結界下がらして頂いて。本当に自分こそ虎の威を借りた。
 私は申年ですから、虎の威を借りた猿だなと思わして頂いたんですよ。そしておしつ便所に入って、そんなら借りろうと思ったんです。一生借りろうと思ったんです。それこそ親先生が仰る「一生借り通したらその方の物ぞ」と仰るように、一生虎の威を借りろうと思うんです。神様の威を借りろうと思うんです。その借りるるのに絶好のチャンスなんです。今日も月次祭の前にあるご信者さんが、まぁそのそれこそこの度のご造営費にということで、それこそ夫婦で思いを込め、力を込めてのお供えがありました。
 その時ふっと人間心が出るんですね。「はぁ本当にこれが親先生にお取次ぎ頂かれたら、この方達も倍の喜びになるだろうなぁ」と思ったんです。そういとこがあるでしょうが。もちろん神様にも喜んで頂きたいんですが、神様に50親先生に50という感じなんですね。こら当然なんですよ。だから人間心使うて、「あぁ本当に親先生にお取次ぎ願われたら、この人達も喜ばれるだろうな、真心を受け取って頂けるだろうな」っと、こう思うた途端に頂くのが「神が受け取る」と頂いて。
 はぁそれであのう弊意にお取次ぎさせて頂いたんですが。ですから先日のこれはあのう日田のご信者さんですが「神は向こう倍力の徳を授ける」という御教えがございますが、その、神は神は向こう倍力の徳のを授けるというのは、一体どういう信心をさして頂いたら、徳が頂けるだろうかと思うて休まして頂いたら、その夜に神様からお知らせ頂いたのが、昔やってました将棋をこう並べていって、ちょっと先を押しますとパタパタパタっと将棋が倒れていきます。
 そのお知らせを頂いてるわけです。ですからどういうことでしょうかというお伺いに対して、例えばそのように真心を込めてのお供えをする。それこそそれは天地にまでも響くんです。ちょっとした真心が天地までも響くんです。ちょっとした私の喜びが、周囲の誰それに響いていく訳です。ちょっとした私の嫌な心が不平の心が、いえそれこそ寂しい心が千人にも万人にも、繋がって行くんです。怖いですよ心は。「神は向こう倍力の徳を授ける」という。
 ですから今そういう意味合いで絶好の、今ちょっと真心を込めてお供えをする、今ちょっと孫心を込めて発心をする。それは神が向こう倍力の徳を持って受け取って下さろうとする最高のチャンスなんです。昨日宮崎から電話がありました。私がこんな大きな金鯉をくわえておるんだそうです。まぁ夢だから面白いんですが。金鯉をくわえてそしてその、その格好を花に生けなさいという言よるところだそうです。
 今日は教祖様がご生前の時から、この10日という日は、わが心なわが心を祭る日として、生神金光大神祭り日として、生前からお祭りなさった日でございます。それこそわが心が拝みたい。なんという有り難い心だろうかと。わが心をお祭りなさったのが、今日の10日のお祭りなのです。どうぞ今合楽で求められておるのは、もうそういうわが心を拝みたいような心と、神様が拝んで下さる様な心とが交流した時、これはもう見えておかげが頂けるんです。
 生み出されるんです。もう親先生がいなくっても生み出されるんです。いつでも。どんなところでも。そういう信心をどうぞ身に付けて下さいよという、神様の切なる願いをひとつ今日は聞いて頂きたいと思うんです。今こそ本当に私の心からひとりでものが生えるような、私の心一つで、あの人間関係も健康の上にも財の上にも、おかげを頂けるような心を頂いて頂きたいと思うんです。
 それはその手立てとしては、もう親先生が口を酸っぱくするほど申されておりますので申し上げません。どうぞそういうところに信心の焦点を置いて、今度の4月の16日の御大祭を頂いて、それこそわが心を祭れる御大祭にして頂きたいんです。その時には間違いなく合楽は倍力のおかげを頂いてると思います。それこそ合楽は親先生のこういう一大事のたんびに、一段一段大きくなって来ております。
 ですから今度のこの親先生のご病気が全快なさった時には、どれほどしのおかげが頂けるだろうかと心躍る思いで、今度の御大祭を迎えさせて頂きたいと心に誓っております。 どうかこの親先生のご病気を無駄にすることなく。ただ親先生の御祈念が、ようなりますようにと言う様な、そういうちっぽけな信心じゃだめですよ。どうぞ私の心が拝められるような、いよいよ有難うなっていけれるような信心に焦点を置いて、この度の御大祭を迎えさせて頂きたいと思います。
   どうぞよろしくお願い申し上げます。